ゲヱム日々是徒然

No VideoGame. No Life.

あんまりにも異なる価値観に殴られると人は思考を停止する

なんの話かって? この本の話ですよ。

ゲンロン8 ゲームの時代

ゲンロン8 ゲームの時代


この本のメイン特集である共同討議というやつがずいぶんエキセントリックな内容で、読んでたらだんだんイライラして来たので、分かる範囲での間違いを一個一個指摘していくエントリを途中まで書いていたのだけど……どうも何か言及したら負けかなという気分になってきたのだ。




いやね、それ自体は簡単なんですよ。例えばこの本の文中では「FPS」という単語を「一人称」、「TPS」という単語を「三人称」と読み替えるように暗に要求してくるし、ミドルウェアゲームエンジンの区別についても曖昧。用語の扱いというのが、ゲームに多少詳しいような人たちと致命的に異なっており、そしてそのことに対する注釈が一つもなかったり。
スーパーマリオ64』と『007 ゴールデンアイ』を並べて、それぞれTPSやFPS、それにいわゆる洋ゲー国内への導入タイトルとなった……という書き方もうーんという感じで、というのは96年当時にマリオ64ほどの規模と密度で3Dジャンプアクションを実現したゲームというのは私の知る限りは存在しないからだ。そのため国内に導入されるべきタイトルがそもそも存在しない。あれと発売が近く、かつ似たような領域に到達しているのは『トゥームレイダー(初代)』で、あれも96年出身だけど発売自体はマリオ64のほうが早い。むしろトゥームレイダーは時オカの系譜の先鞭ですね。ロックオンシステムの原型がすでにあるし。
一方で、マリオ64ゴールデンアイがあったからこそ、その後出てきた「より高度」な3DアクションなりFPSなりを国内のプレイヤーが受け入れる土壌ができた……ということを書きたいんじゃないかなあ~~~とアクロバティックな解釈をすることも、まあ、不可能ではなく、そういう振れ幅の大きい記述がもうずーっと続く。


些末な間違いではなく、論旨を見てほしいという考えもわからないではない。たんなる単語問題や細かなミスには目をつむって本質を見るべきであるという考えだ。しかし、こういう個々の小さな間違いや意識違いの積み重ねは、内容に対する不信感をもたらしてしまうのだ。FPS・TPSという単語の話もそうだ。最後のSはShooterのSなのだから、それを単なる一人称や三人称の呼称として使用してしまうのは本来不適切である。それでも文字数の都合や一般的な浸透度を鑑みて文中ではこういう呼称で統一しますという注釈の一つも入れてくれれば話は違ったと思うのだが、特にそういうフォローがなされないまま、その単語を知っている人間のモヤモヤをこの本は置き去りにしてしまい、その単語を知らない人には明らかに間違った知識を植え付けてしまう。そういう紙面上の姿勢が不信感をもたらし、不信感は嫌悪感を招き、この本に対する読み方そのものを変容させてしまうのだ。


で、これが評論とか言論みたいな、いわゆるゲームあんまりやらない人たちからみるゲームの世界なのかあ~とか、いやいや我々は業界外の人間ですからってエクスキューズつええなとか、いろいろ考えているうちになんだかアホらしくなってしまったのだ。「いやいやそういうことじゃない」と言い返される余地が大きすぎる。「本質はそこじゃない」で無限に逃げられる感じ。「手法の問題であり、そういうツッコミは言論や批評でなく歴史学です」みたいな言われ方されてそれに対してなんか言えるだけの教養的背景を私が持ち合わせていない。「業界の垢に染まっていない我々の貴重な意見ですので有難がってください」というエゴもすごい強烈だし、何かもういいかなって……最終的に「議論は深まった」みたいなこと言われて終わりかなって……


ただ人によっては共同討議は本当にモヤモヤすると思うが、それ以外の記事はまあそこまで断絶を感じる内容のものはなかったので、興味があったら読んでみるのも悪くないですよ……というフォローはしておきたい。「出版」関連の言説には首肯できるところもあったし、インタビュー記事は割と普通のインタビュー記事だし……ゲーム系近代用語解説に徹する今井さんの記事ってのも結構レアな姿勢なんじゃないかなって……かなり掘り下げてて流石だなあと思うし。あの共同討議は収録時のライブ感を重視しすぎた結果であるという気もしている。


まあでも、クラクラするほどの読書体験ではあった。良いのか悪いのかはわからないけれど。