Atari7800が失敗に終わり、Lynxはといえばゲームボーイの後塵を拝していた
Atariが家庭用ゲーム機市場に最後に放った断末魔こそがAtari Jaguarだ。
Atariは、ゲーマーをキャッチーにひきつける手段として数字のインパクトに目をつけた。
SuperNES*1とGenesis*2が
16ビットの土俵でしのぎを削りあっている中、64ビットと遥かな大差をつけてJaguarを世に送り出した。
これは家庭用ゲーム機市場に最も速く登場した64ビットマシンなのだ。
さておき、実際に世に出たJaguarはどうであったかというと、
SuperNES及びGenesisの2D・3D処理能力を、Jaguarは確かに上回っていた。
コントローラも、キーパッドとゲームごとに用意されているオーバーレイを併用することで
どのようなゲームにも対応できるようになっていた。
Atari5200やColecovisionで育った世代には馴染み深いものであったろう。
さらに、将来的にはCD-ROMゲームが提供されるよう、システムには拡張の余地が用意してあったのだ。
しかし、Jaguarの最先端機としての命は非常に短かった。
既にセガサターンが、プレイステーションが、間近に迫っていたからだ。
あの3DOでさえCD-ROMを媒体としたハードウェアを備えていたのだ。彼らの出現は、
「64ビットの処理能力も、使われなければ意味はない」
という事実を示すに十分であった。
その短い命の間にも、id-sowtware、Rebellion、そしてサイケデリックエフェクトの申し子ジェフ・ミンターによって
Jaguarの代表作といえるタイトルを輩出することに成功したものの、
親会社Atariの誤った経営判断、有力サードを呼び込むことができなかった事実、
Atari自身の開発チームの不足、Jaguar自身のソフトウェア開発の難易度の高さなど
Jaguarの終焉の理由となったであろう要因を挙げるのは難しくはない。
IGN任天堂担当クレイグ・ハリス曰く
「Jaguarにとってそれがどのようなものであったかは私には知る由もないが、
JaguarはATARIブランドに相応しい物でなくてはならなかった。
Jaguarのロンチ時にはとても興奮していたものさ―――大きな間違いだったがね。
Tempest2000とか、Power Drive RallyとかNBA Jamとか稀に面白いゲームも出たが
ゲームもシステムも史上最悪といっていい設計のものがいくつも出ていた。
たとえ私がこのマシンの主唱者として活動していたとしても、このマシンが市場で脚光を浴びることはできなかったろうね」
IGN-Retro担当ライターレヴィ・ブキャナン曰く
「私はJaguarに対して懐疑的な考えを持っていたが、私のLynxへの評価は
Jaguarに対して真摯に向き合う心境の変化を私にもたらした。
その心境は私が"トレボー・マクファーのクレセントギャラクシー"をプレイするまでは続いた
(この経緯を理解いただけるだろうか?)
あれはそれまでの横スクロールSTGの中でも極だって退屈で、軍服を着たライオンが私に向かって怒鳴っていた。
Alien vs Predeterのようなゲームが出始めてからようやくマシなゲーム機にはなったものの、
あの第一印象を拭い去るのはあまりに難しすぎたのさ。
ただ、Jaguar同人の世界は非常にCoolであることは言っておく*3。
原文はこちら。
誤訳やツッコミ大歓迎。訳文の無断転載は勘弁してください。