Magnavox Odyssey
米magnavox社 1972年発売
Magnavox社は他のどこよりも先駆けて、ビデオゲームマシンを発売した。
アタリ社の「PONG」より、それは先行していた。
デジタル回路とアナログ回路の混在するOdysseyは、
全てのビデオゲームプラットフォームの絶対的な出発点であったのだ。
カラーも、サウンドも無いこのマシンを、magnavox社は30万台売り上げた。
Odysseyはカートリッジ方式を採用していた。一方、
ゲーム内容は、どれもゲームというよりはコンピュータチップのようなものだった。
コントローラは上下方向・左右方向に移動させるためのパドルが二つ付いた箱で、
本体とは太いワイヤーで接続されていた。
Odysseyは、家庭に光線銃ゲームを持ち込むことでも他のどこよりも先駆け、
家庭内に射撃場を持ち込んだ。
Odysseyのゲームはどれも直接的で単純なもので、単一タイトルを挙げると
野球・バスケ・スキーなどをプレイすることができた。
Odysseyはそのシンプルな構造ゆえ、サードパーティがOdyssey向けにゲームを製作することはなかった。
だが、Odysseyが開拓した手法は、その後多くのシステムによって利用されることになる。
この遺産は、ワシントンD.Cのスミソニアン博物館で
「家庭用ゲーム機」として現在も展示されている。
IGN-Retro担当ライターであるレヴィ・ブキャナン曰く
"Odysseyが最初に出たとき、私は何の接点も無かったわけさ。
何年かの後に、ガレージセールに出されているのを見つけるまではね。
38ドルでド新品、オーバーレイ*1も全部そろってるなんてお宝を
見つけたときの私の顔ったら!
まあそれを家の一昔前のテレビに接続するのがまた骨でね。だけど、なんとかそいつがスクリーン上に映ったとき、
私は1972年当時の人々の眼に、どれほどまでに革新的に映ったろうかというところを想像するのが精一杯だったよ"
原文はこちら。
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*1:不自由人注:画面に貼り付ける下敷きっぽい色板のこと。文中で触れられているとおりオデッセイはカラー出力機能が無いので、インベーダーの筐体にカラーセロハンを貼り付けるようなやり方で擬似カラーや背景アートワークを演出した