ゲヱム日々是徒然

No VideoGame. No Life.

アスラズラース 感想

真エンディングまで。


映像ソフト。
アクションゲームとしては価値なし。

■何も変わってはいなかった
以前、体験版の感想をこのエントリで書いた。
あのときは「体験版の感想文」であったためボロクソな評価であるが、それはそれとしてウチはこのゲームに期待していた。体験版で見えるものが全てであるはずがないし、「体験版で楽しめない部分こそが最も楽しい部分である」というものも世の中には少なくない。
そして、その期待は見事に裏切られた。


このゲームの最終話まで終え、「すべてのエピソードをクリアした」実績を獲得してなお、ウチのこのゲームに対する評価は体験版の時とほとんど変化がない。これはゲームではない。DVD等で次のチャプターに進むための操作を、申し訳程度のアクションゲーム要素と、なにが面白いのかわからないシューティングゲーム要素で置き換えただけの映像作品だ。


■何故、ゲーム流通なのか
このゲームが映像作品足りうる理由の最たるところは、「主人公の操作シーンに物語上の必然が一切ない」ことに尽きるのではなかろうか。環境が整っている人は、一端このゲームを最後まで通しで録画し、それから主人公をプレイヤーが操作しているシーンを全てカットしてみるといい。表向き、なんら破綻のないCGアニメビデオの出来上がりだ。


つまるところ、このゲームは発表する媒体を間違えたとしか思えない。あくまで先に「ぼくのかんがえたかっこいい戦闘シーン」魅せたいという動機とプロットだけがあって、ゲーム要素は後から付け足したとしか感じることができない。それならはじめからCGアニメ作品として出せばいいし、幸いにも映像作品としての鑑賞に耐えうる映像は出せていると思う。何ら恥じることなくアニメ流通に乗せてしまえばよかったのだ。


■取って付けたようなゲーム要素
そもそもアクションゲーム、シューティングゲームとしてみた時のゲームの浅さが半端ではない。このゲームは雑魚戦もボス戦も一貫して、先に進むためのトリガーが「敵の撃破」ではなく「敵を攻撃してゲージを貯める」ことになっている。ゲージが溜まりきると画面にBURST表示が大写しになり、言われるがままにボタンを押すと……デモシーンの始まりだ。「敵の体力を減らす」というアイコンが「自分のゲージを増やす」というアイコンにすり変わっているだけのはずなのだが、どういうわけか作業感が大幅に増幅される。
これにははっきりとした理由がある。デモシーンの結果として敵にダメージは与えられても、プレイヤーのアクションの結果として敵にダメージを与えているわけではないからだ。このゲームのボスキャラはプレイヤーの攻撃で体力は減らないし、それに応じて行動パターンを変えてくるなどという振る舞いはしてくれない。製作者の完璧なストーリーラインと世界観に、プレイヤーが介入することは許されないのだ。


シューティングシーンでもそれは変わらない。敵の撃墜に意味はまずないし、たとえスクロールが止まる前であったとしても、ゲージを溜めきってボタンを押してしまえば新たなデモシーンが始まる。このゲームでやるべきことは敵の撃破ではなく、ただ一刻も早くゲージを貯めることなのだ。


■最高難易度ならなんとか
今からこのゲームをはじめるのであれば、絶対に難易度はハードにしてプレイするべき。ノーマル以下だと死ぬ要素が皆無に等しく、戦闘シーンになったらぼっ立ちのまま通常攻撃ボタン連打でラスボスまで攻略で来てしまうからだ。難易度をあげることで敵の火力が不当に高まり、とくにボスキャラのやっつけ調整気味な全方位攻撃に対して、このゲームにささやかな緊張感と、アクションシーンのわずかな引き伸ばし効果をもたらしてくれる。


■総評
なにはなくとも体験版を触ってみるべき。この体験版に、アスラズラースというゲームの全てが詰まっていることは、ウチが絶対の自信を持って保証する。
体験版の展開、ゲーム性、主人公を操作できる時間に対して納得ができたのであれば、このゲームを手に取っても後悔はしないだろう。おそらく、望むだけの楽しさを味わえるはずだ。
体験版の内容に少しでも疑問を持ったのであれば、絶対にやめておくべきだ。この体験版以上の内容は製品版に存在しない。