ゲヱム日々是徒然

No VideoGame. No Life.

バットマン・ラスト・エピソード 読了

未だに映画版ダークナイト、復刊版ダークナイト・リターンズ、イヤーワン、キリング・ジョークの興奮覚めやらぬウチは
スーパーマンと同時購入しつつ先にこちらを読破。

これはちょっと感想を述べづらいな。
スーパーマン・ラストエピソードの方が
連綿と続くスーパーマンという人物の物語の結末を描く内容であったことに対して
こちらはキャラクターとして、イコンとしてのバットマンが、世界中のライターの手によって
「最終的にどのバットマンも、誰のバットマンも死に、そして新たに生まれてゆく」
という事実に対しての理由付けを最終回として提示したと言う印象。


とある旧敵の案内で友人・ヴィラン問わずバットマンの葬儀に集った面々が
一人ひとり語る、どれも違った「バットマンの最期」
それを意識となって見下ろしながら耳を傾けるバットマンと、彼に寄り添う謎の存在の視点でこの物語は進んでいきます。
「何故、自分は死んだのか?」
「皆が語るバットマンの最期がどれも違う内容なのは何故か?」
という謎が、ニール・ゲイマンの幻想的な味付けで描かれる一作となっているわけですが、


ニール・ゲイマンらしいメタな視点も随所に配置してあり、
ナイトウイング名乗ってるはずのディックが何故かロビン姿だとか
ジョーカーの造形がアニメ版風(ハーレイ・クインと会話しているコマ)だったり
ブライアン・ボランド作画風だったりころころ入れ替わったりと
よく見ないと気づかないけど気づかないと物語の意味がわかりづらいというネタが多め。
斎場を俯瞰するコマの参列者全てにきちんと元ネタがあるのもわかるんだけど、
なにぶんウチのようなニワカにはどうしても分からないキャラが居るわけで。
ジェイソン・トッドも居たりするようなんだが……


個人的にはスーパーマン・ラストエピソードや、もっと言っちゃうとダークナイト・リターンズのような
「物語としてのバットマンの最期」を描いた作品だとばかり思っていたので若干拍子抜け。
ニール・ゲイマンと作画のアンディ・キューバートのファンタジックな作風も含めて
残念ながらいまいちピンと来なかったです。


併録している短編もいまいちグッと来るものが無く、唯一「おっ」と思ったのが
メタ視点というか楽屋オチネタに徹している「A Black and White World」。
「"レーガンが入れてもらえなかったホワイトハウス"だと。6文字で、最後は"カ"」
「カサブランカ
「カサ……やるねえ」
「どうも」
というある人物のやりとりとか思わず吹き出す。こういうところまで突き抜けてしまってれば楽しめるんだけどなぁ。